天雅日記令和版 

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原発への感謝

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今、日本中で、原発がボイコット風味のあつかいを受けている。
 
自分も原発容認論者ではあったが、せいぜいしぶしぶで、可能なことなら危険な物ゆえ無いほうが良いとは考えていた。
 
今回の地震を発端にし、楽観の塊だった東電のインチキ安全基準のせいで、津波被害で原発が毒を吹き出し続ける鼻つまみ者になってしまったが、TDNのエレクトリカルパレードをはじめとする電飾系のキラキラは、この福島の原発が頑張っていたから出来たことなのは間違いない。
 
俺は夜は暗いほうが自然なので好きなことから、過度なイルミネーションはキライなのだが、それでもクリスマス前後の商業地区の電飾には心踊るものが有った。
 
その流れがおかしくなってきたのは、ここ数年の横浜市青葉区が発祥のクリスマス電飾合戦だが、それでもその影で原発が過酷な労働をしていたからこそ出来たこと。
 
自分もmokiさんのブログ記事を読むまでは、原発をただの厄介者だと感じていたが、考えてみれば原発自体にはそこまでの罪は無いのだと考えを改めた。
 
んだって、会社のためとか社会のためと言われて無理をさせられ続け、上司の杜撰な指示でトラブルと言うか大事故が起きたら、いきなり責任を全て押し付けられて非難ゴーゴーになっているのが今の原発の立場なんだから、これが自分なら我慢なんか出来るわけはない。
 
てか、非難どころか、今ではこのまま身勝手に殺されそうになっているんだからね。
何の感謝もされないでさ。
 
迷惑を掛けられている人は非難するのは当然だし、怒るのも当然の権利だとは思うけど、電気というかガソリンを含む全てのエネルギーを無駄に浪費してきたと言う自覚も持って欲しいと自分は思う。
 
特に福島に住んでいる人たちではなく、首都東京に住んでいる我々自身がその思いを強く感じない限り、また同じ間違いを犯すはずだから。
 
電力需要がここまで伸びなければ、プルサーマル計画も推進は難しかったはずだし、今の福島第一原発のように横並びに原発が密集するなんていう無理な設計に、需要さえなければ行政が許可なんか出すわけはなかったんだから。
 
「想定外」と言う言葉で逃げばかり打っていた東電は、とうとう瓦解しはじめたが、1万人のキャンドルナイトのような自発的な節電イベントを国民自らが積極的に行い、その間だけでも発電施設の点検を安心して東電が遂行可能なレベルまで徹底して行っていれば、恐らく今回の津波被害ももう少し規模の小さい物になっていたような気がする。
 
東電の怠慢は、ライフラインを支えていると言う傲慢さにはじまり、事実上の独占市場であることから都民や国民がキャンドルナイトのような節電イベントを行っても、ろくな感謝どころか設備の点検や整備をしなかった可能性も否定できないが、それでも利用者が穏やかな気持ちで電力の供給に感謝の念を抱いていれば、ここまで東電が卑劣な団体になることは無かったとは思うんですよね。
 
とにかく福島第一原発さん、今までありがとうございました。
 
今はかなりアレな状態で、こんなこと書くだけでブログが炎上しそうだけど、引退してもらう貴方に石持て追い払うのではなく、今までの感謝の念をこめて合掌しながらお別れをさせていただきます。
 
本当にありがとう、そして、おやすみなさい。
 
これ以上断末魔の叫びで、皆様を困らせないで、つらい気持ちは分かるから、今は早く眠りに付いてくださいませ・・・。
 
おやすみなさい。