天雅日記令和版 

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3月11日 許すことの難しさ

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崇徳天皇に付いて調べた結果、伝えられているような怨霊ではないことを知る。

屍姫ファンの自分としては、通説のような結果を期待をしていたが、それよりも諭されることのほうが大きかった。

自分は非常に執念深い。

執念深いとは言っても、長年うらみ続けることもあるが、その逆に世話になった人には何年経ってもその恩を返すようなところもあるので、一概にマイナスとは言えないとは思うが、やはり加害者が被害者に対してなんの償いもしないのに時間経過のみで
「許すのが当然」
などと主張してくる身勝手な人間が昨今では多いので、自分が納得しない限りは許すことはまずしない。

40になった今では、相手が反省をしているのなら許すことも考えるが、単に口先で謝罪もしない愚劣な相手には、その相手の死すらも即座に願うこともある。

百式事件の否王などはいい例で、あれが少なくとも百式に対して必要最低限度の礼節を示していれば、民事訴訟のその先の、行政処分や脱税疑惑での告発に向けた資料提出などは取りやめることだろう。

てか、反省しない人間はまたやるし。同じことを。

そういう蛇のごとく執念深いのが常の自分だが、今日読み終わった「怨霊になった天皇」では、許すことの必要性を教えられた。

幕末の孝明天皇の治世まで、怨霊として日本国を恨み続けた崇徳天皇だが、孝明天皇の発願により京都にお戻りになられ、その後は大魔王ではなく護国の神として祀られている。
長年の間怨霊として恨み続けた崇徳天皇は恨むことに疲れたというより、トラブルが有ると全部自分のせいにされるのが何よりもイヤだったんだと俺は思う。

味方がいない状況で抗い続けるのも辛いけど、人を憎み続けるのもけっこう辛い。
んでも何よりも辛いのは、何の救いも無いと分かっている戦いを続けることが一番辛い。
それに気が付いたときには、ものすごい苦役を自ら望んで続けていることを思い知ることと同義だと思う。

この苦役から逃れるのが、許すことなんだと自分は思う。
そうじゃなければ、憎しみの連鎖が断ち切られることは無いから。

占い師なのに法律家も含むので、過失と故意の違いで許すかどうかを悩むのだろうが、例え故意だとしても勘違いで悪意が生じてその結果ということも考えられるので、無駄に人様を憎み続けるのは間違いだと考えておくほうが得策でしょう。

まあ、でも、下手に許すことばかり考えるとモチベーションが下がるので、そのへんも見定めなければいけないのでしょうけど。

むー、ますます混迷していくわい。

追記
Pixvで拾った屍姫の作者の画像です。
冬コミとかよく元気あるなぁ。