裏参道を下ると、表参道よりも勾配が緩やかなことに気が付く。
また、表参道は梅雨の中休みに登ったこともあり、高温多湿の最悪の環境下ということも手伝いスーパーハード。
余談だが、知人の20代のベトナム娘が帰国した際に、3週間ほど里帰りしていたんだが、その際に整形しましてな…。
女性向けに言うのなら、魔女っ娘メグがライバルのノンになるくらいに違うんだが、本人が平然としているのがまた驚きを加速させたのはナイショだ。
んでも、登山道というよりも林道風味に道が途中で太くなるので、植林や伐採した木を切りだすために整備したと思しき道と見た。
そして開けた山道の左手には新しめだが、若干ひなびた宮が見えてくる。
登山道というか参道からそのまま左に入れば近いのだが、気軽にルールというか決まりを曲げるとヤバいような気がしたので、遠回りでも鳥居から参拝。
静かな中に強い力を感じる御宮だが、若干の異様さを感じる。
その異様は御宮の怒りであり、ちょっと前に跋扈した韓国系キリスト教徒による犯行と同様の油撒きの形跡が見て取れる。
帰宅後調べると元々別な場所で祀られていたこちらの神様の怒りを鎮めるためにこちらに遷座なされたのに、こういう狼藉を働けば怒りに触れるのも当然なはず。
ちうか、君とこの神様の大工の息子は、他人様の真摯な信仰対象を汚せとかいうのだろうか?
そんな宗教は単なる邪教だぞ。
大工の息子の寝言はそれほど信じちゃいないが、それを真摯に信仰するものの熱意まで俺は踏みにじらんし、それが人の品性というものだが、どうも下劣な人種はそういうことは関知しないものらしい。
パン増やせるとか湖の上を歩くとか、人のケガや病気を治せるとかなチンケな手品はどうとしても、絶望の中に多くの希望と安寧をもたらしたのがキリスト教なのに、わざわざ他人様が大事にしているものを蹂躙すべしとか教えていないはずなんだがな。
再訪することを胸に、下山の無事を感謝することに。
その後本堂付近にまで来ると、そこかしこに結界のように小川が流れる。
湧き水と言っても差しさわりはないが、若干のコレジャナイ感を感じるため汲むことは避けるワタクシ。
御岩神社様の本堂まで来ると、通常の寺社との違いに気が付く。
通常の寺社は願望成就というか、単なる祈りの対象であることが多い。
いうなれば神仏に拝謁する場所である。
供養可能な寺社と言えば出羽三山神社や青森県の岩木山の奥宮、さらには宿泊も含めれば三峰神社や磐梯山のふもとの磐梯山(いわはしやま)神社があるが、通常の山歩きのみで供養も祈願可能な寺社というのは非常に少ない。
描き切れない龍神の巨大さを、一発で参拝者に納得できるようなこの表現法には脱帽である。
本当は祈願をお願いしたかったのだが、サイトで調べると要予約なためあきらめることに。
また来るからよいわ。ええ。
また、斎神社右横の画像撮り忘れたけど、動物系の供養が可能な御宮を発見したので相談者の大事な家族のご冥福を祈願させていただく。
浅草寺とかでもご供養の祈願は可能だが、別枠でこうして手を合わせるところが有るのは物凄くありがたい。
もとは確かにペットではなく、家畜としての牛馬の供養のためにお祀りしたのだろうが、家畜というのは当時は大事な財産であり今のペット以上に尊い存在なのだから、往古から連綿と続く祈願所というのは色々と優しい存在だと思う。
また、来よう。
JKのスカートとか確認できなかったし、泊りがけのほうがこちらの寺社は絶対いいから。