御祭神 市杵島姫命 大巳貴命
公式サイト 無し
百式事件のころに迷い込んだのち、まったく寄ることも出来なくなったここ貫井神社。
雨のそぼ降る夕暮れにバイクで偶然辿り着き、聖地ゆえのお力を感じつつも雨と夕暮れから参拝が困難となり再訪を誓うも、10年以上も経ってしまった不思議な神社。
そんな不思議な神社は歴史にも乏しく、その理由は街道沿いでも宿場でもないため、風土記的なモノにも散見レベル。
とは言え、行ってみて判るのは、その神気の強さ。
神社の体を取っており、水神さまを古代から祀る流れから、安土桃山時代には真明寺が建立されたが、神社の左手に連なる不動堂や愛宕神社、果ては奥宮にも等しい八雲神社から紐解けば、推察でしかなくてもここは修験道的な行場としか思えない。
近所には縄文時代の住居跡が残ることから推察すれば、往古から聖地として祀られて来た場所に寺社を建立するのは当然の話。
ちなみに元は一緒だった真明寺(しんみょうじ)の創建が、天文10年の武田信玄が武田信虎(信玄パパ)を甲斐の国から追放した時期なので、そのころの武蔵の国と考えれば未開地もいいところ。
そこに一人の聖が現れ、ここに庵を結び修行の地としたのでしょうよ。
実際には別なところだったので、北多摩群の天領地なことも併せれば徳川幕府が安定してから遷座して来た可能性が高く、とにかく4000年位前から聖地だったと思えば問題ナシ。
そんな聖地を聖地らさしめるのが、この画像の湧き水の清らかさ。
湧き水がお力有るかどうかを見極めるのは簡単で、いつも身に付けてる天然石系のブレスやペンダントなどを、この御水で清めてみればすぐわかる。
こんなお力のあるお水を祀る、水神様のお居られる貫井神社さまを今回はサクサクとレビュー。
昨今の武漢肺炎のため、お手水には柄杓は無いが、こんな秀逸なアイデアで手と口のお清めが可能。
これ考えた人、ガチで頭いいです。
そんなことに感心しつつ、太鼓橋を渡って本殿に参拝。
水の結界に守られている寺社なのですが、自分的には弁財天さまも大国主さまも感じません。
その後、湧き水の方が神気がさらに強いので、遊水池の近くで楽しく撮影をしていると、いきなりカメラがフリーズ。
大写しされたのは、御爺様系の神様が!
知らないんだけど、この神様…。
後編に続く。