天雅日記令和版 

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信じ切ること

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もう7年も経つのかと驚くが、その昔に通常では勝てそうもないと誰もが口にする、巨大企業との法廷闘争に勝ち抜いたワタクシ。

法理法論からすれば勝つのは当然なのだが、それを信じ切ることが不可能なほどの嫌がらせが大名行列のように切れ目なく続くことや、組んでた百式が足を引っ張り続けることなども加速して何度も負けそうになったが、法律論では負ける余地がないので一定のペースで戦い続けた結果、相手の瓦解を招いたうえで完全勝利をおさめた。

この時も多数の神仏の加護があって、次々と導き出される奇策と、それと同時に常道を積み重ねて裁判官の心証をこちらに大きく傾けさせたのが勝因ではあるが、一般常識的な思考では勝てるはずもないと考えて戦う前から諦める人が多いように思われる。

んで、最近のワタクシだが、年明けにも彼女が出来るとこの4月に聞き、まだ見ぬ彼女のために体を鍛え続けているほど、この神仏のお言葉を信じ切っている。

縁結びで高名な東京大神宮さまで正式参拝をすれば、良縁がもたらされるのは間違いないのだが、良縁がもたらされるからと言ってもオッサン体系のクソ中年が相手では新しい彼女が不憫なので、新しい彼女に喜んでもらうためだけに肉体改造にいそしんでいるのである。

神仏の加護や、自分の運命もあるが、何よりも自分自身を信じなければ状況なぞは変わらない。

不足が見えたら、それをリカバリーすればよく、不安を感じてもまずは自分自身を良い方向に変えていくことで状況はどこまでも好転する。

その逆に現状に不満ばかり漏らし、さしたる努力もしないで不安ばかりを友とするものが昨今では激増しているのだが、そんな脆弱な意志の力では成功なぞはおぼつかない。

「鰯の頭も信心から」と同類にとられるだろうが、信じて努力することでのみ願いはかなうものだし、諦めることなく挑戦し続ければ苦境は必ず乗り越えられる。

ただし、その意志の力を削ごうとして、あらゆる艱難辛苦が列をなして襲い掛かってくるのだが、自分を信じることが出来るなら必ず状況は良い方に整っていく。

その攻撃は執拗でも、邪念で攻撃してくるものは最後は必ず息切れするので、諦めずに歩み続ければこちらは粘り勝ちするだけだから。

そして邪念は邪念を呼ぶので、邪念に基づいた願いそういうやつを呼び込んでしまうことからかなわないことが多いので、それも付け加えておきます。

自分と加護を信じて頑張れば大丈夫。

人はその人が乗り越えられるだけのトラブルしか回ってこないそうですから。

追記
画像は東京大神宮様で御祈願を申し込んだ方が通される控えの間。

彼女が欲しいから参拝したのではなく、神仏の代わりに地脈の引き直しで呼ばれるがままに全国行脚したら「ご褒美あげるから参拝に来なさい」と倭比賣命さまに呼ばれたのでせっかくなので御祈願を申し込みました。

もちろん彼女は欲しいです。ええ。