広島に原爆が投下されて70年目の朝。
投下時刻の8時15分には、日本中のみならず世界中で被害者の方々への黙祷が行われていた。
ちょうど休み明けだった自分はその時間はグーグータイムな夢の中。
それは数年前にNHKで放送されていた広島にある原爆資料館に併設されている原爆絵画館の資料の整理にまつわる話であり、少しでも霊感のある人間ならば資料館の蝋人形や写真などは序の口でこちらの絵画館こそが激ヤバ物件なのは言うまでもない。
そのような激ヤバ物件の資料にまつわる放送ゆえ、その放送後は我が家には関連する被害者の方々が次々と来訪することに…。
特に心を痛めたのが、我が子の帰りを待つお母さんの変わり果てた姿を息子さんが目撃していたことを恥じていて成仏できなかった話。
心の痛みは救うべくもなかったが、息子さん自身がお母様の成仏を願う心をつてとしてようやく成仏してくれたが、心理カウンセリング的なアプローチを試みればもう少し早く成仏させられたような気がしないでもない。
さて、除霊が出来なきゃ誰も救えないのかと言えば、そんなことはないというのが今回のお話。
詳細は画像が若干ヤバいので別ブログのほうでアップしますが、前述した息子さんの無私な祈りの心が60数年後の成仏の呼び水になったように、赤の他人でも真摯な黙祷や慰霊碑に手を合わせることで供養のプラスになるということ。
神仏は無尽蔵にお力を振るわれるようでも、実際には世の理(ことわり)をそうそう捻じ曲げては動かないものであり、原発事故ですらも神の力を得ようとした愚かな人類が自らの手を汚して解決しない限り特に動くことはないのと同じで、原爆で人生を捻じ曲げられた末に苦しまれた方々の救済を願う人々のその思いにこたえて苦しみから救ってくださるので、無関係なように思える貴方のその優しさや人間性から来る黙祷や救済の祈りは神仏を動かす原動力になるんですな。
それゆえ、日々の幸せを実感なされる方はますますこのような黙祷や慰霊碑に手を合わせることは重ねたほうが良く、その逆に人生がイマイチうまくいかないと思うような方ならば進んで手を合わせるほうが自分の運気の低迷から抜け出す糸口にもなるのでお勧めなんですよ。ええ。
なぜなら、他人のために手を合わせる方のその無私の祈りにこそ神仏は感応されますし、そのような方々をまずは神仏は救いたいと願うから。
安っぽい小理屈を言う前に、困っている人や苦しんでいる人に手を差し伸べるくらいの人間性が欠落していちゃ幸せなんか来やしません。ええ。