天雅日記令和版 

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5月10日 ぬこ神社

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定例のミーティングなので、浅草で僚と落ち合う。

浅草での参拝後、時間がハンパに余ったので、久々に待乳山の聖天様に参拝する事にしたのだが、僚が道を誤って別な神社に行ってしまう。

池波文学がスキスキ大好きな自分なので、作中に登場したこの神社の名前は知っていたのだが、全く参拝に来た記憶はなく、本日が初めての参拝となった。

確か、秋山小兵衛が夜半に悪漢に襲われた教え子を見つけるのが、この神社の石段の下だったような気がする。

確かあの教え子は、四谷の小兵衛の道場にいきなり来なくなり、夜の闇に沈むこの神社で20年ぶりくらいに再会した話で、胴巻きに入っていた大金も、恐喝で得た汚い金のはずだったような気がするんだが、どうだっけ?

てなことを考えながら境内にはいると、なんかスゲー雰囲気が良いんですが。

「招き猫発祥の地」と看板には銘打たれているが、確か豪徳寺でも同様のことは主張していたけど、どちらが本当なのだろうか?
まあ良いわ、俺には関係ないし。

本堂を参拝しようと奥に進むと、神社には珍しい少年の二人連れがおり、熱心に何か書いている。
どうやら、縁結び祈願らしい。
てか、若者なら女ぐらい自力でものにしろ、つー感じなんですが。

だいたい「神仏が縁が有る」と思う異性と、「こういう感じの異性がタイプ」という流れは、大概が相反する場合が多いので、俺的にはお勧めは出来なんですけども。ええ。

同様に、女性の少人数での参拝客も多いようだ。
買っていくのは縁結びのお守りが多い。
だが、この女性たちも、どこか弱ったお願いなのは明白である。
理由は、欲望が顔に浮き出ているからである。

しかし、東京大神宮様にも似たようなお願いをする参拝者は多いのだが、最近の東京大神宮様が弱った参拝者が多いのに比例して境内の神威が弱まってきたのに対し、ここはそのようなことはなく、非常に清らかな気がするのである。

本堂の中を覗いてみてその理由がわかった。
巨大な招き猫が鎮座しており、この巨大な招き猫が、その邪気をすべて良いものへと奉り変えているのである。

単なる縁起物だと自分は招き猫のことを認識していたが、きちんと奉ればこれほどのお力を発揮するものなんだねぇ。

ちなみにここまで招き猫を前面に出しての経営に変えたのは、今の神主になってからだそうである。

実はこの経営改善により、同業者には誹謗中傷されているそうなのだが、経営努力が足りておらずに経営的に気まずい状況になっている寺社や、青梅のS観音のように単に観光地化して御利益が希薄になってしまったところより、全然良いと思うんですが。

参拝客もおらず、常駐する神主もいない神社なんてものは、うら寂しいだけでお休みに来る神様には良くても、普通の経営から考えれば良いところはまず無く、さらに素人ならば効果的な祈願のやり方も知らないので、御利益の無い神社との評判が広まり、そこの神社の神様と参拝に来た人との縁はますます遠くなるだけなのである。

多少風変わりでも参拝客も多く、スタンダードに御利益があれば、その寺社には神様の通い道が通じ、神様にも参拝者にも双方良いことずくめのはずなんだけれどもね。

神様をありがたがって、遠いものとしてとらえるよりも、身近なものとして感じる方がよほど神意に叶うものですよ。ええ。

いいじゃん別にぬこ神社でも、参拝客も神様もいい方向に行くならさ。

追記
縁を求めて、失業中の人や中小企業の経営者などによる、状況改善を願っての「七福神めぐり」の参拝客が爆発的に増えているそうです。
うちでも「開運情報」のなかで、こういう不況の際の回避策でも打ち出して、少しでも世のためになるように動くことも考えないとだね。

んでも、苦しいときのみの神頼みでは、いずれまた苦境に陥るから、そういうところから説明しなければいけないんだけれども・・・。