天雅日記令和版 

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6月14日 平和祈念展示資料館

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 所用で中野まで電車で出たので、その後に新宿まで出ることにする。

まずは伊勢丹に行き、友人から貰った(貰うな!)タグホイヤーの時計の調整を頼もうと思ったが、立川や吉祥寺の伊勢丹と違い、新宿店はブランド志向が強いので、ジーンズにポロシャツで来た自分には敷居が高い。

結局ヘタレな自分では、ジュエリー及び時計の修理のコーナーに居るお客様に気圧されてしまい近寄ることが出来ず、後日に立川の伊勢丹で調整してもらうことにし、撤退する。

むう、俺様負け犬かも。

その後、以前から、たびたび車内吊り広告で興味をそそられていた「平和記念展示資料館」に向かう。
天才水木しげる画伯の独特なイラストは、どこかユーモラスに振りすぎている感も有り、悲惨さが殺されているのだが、この絵をたとえば藤島康介とかが書いても、やはりダメなのかもしれない。

赤紙から始まる従軍経験はやはり酷いものだと痛感するが、今回こちらに来るまで、自分は従軍経験者、つーか戦死者には必ず「恩給」が出ると信じていたのだが、軍属期間が短いとそれに該当しない「恩給欠格者」などと言う、ひどい話が存在するとは知らなかった。
てか、どのくらいの期間属していなければならないのか分からないが、それこそ初任地で戦死することなんかざらだったろうし、太平洋戦争末期ともなれば、南方戦線に補充のために向かう新兵は、その輸送艦ごと戦死する場合も多いのだから、大量の「恩給欠格者」の方々が出ていたのではと思われる。

しかし、ここを見学させてもらって思うのだが、当時の国策とはいえ、外地の旧満州朝鮮半島に入植した人々は、引き上げの際には本当に苦労したらしい。
帰国を希望しても、実際に帰国できた人は比率から言うと多くなく、さらに運良く引き上げ船に乗れてもなお、船内で命を落とす人が多かったようである。

満州での撤退騒動は、それまで利権を手にして日本が凋落した結果、元の支配者である中国人の手にその土地が戻る反動なのでまだ納得も出来るが、酷いのは同じ旧満州でも、ソ連軍の参戦によるシベリア連行や引き上げ騒ぎであろう。

不可侵条約を一方的に破棄したソ連が、翌月に旧満州に攻め込んだのが事の発端だが、元々ソ連とは戦争していないし。
国際政治的に見れば、旧満州を支配する日本が落ち目になったので、少しでも領土を広げるために進行してきたのだろうが、守備隊である関東軍武装解除させた上にシベリアに連行するとは、人権無視もはなはだしい。

戦時の一般的な条約となっているハーグ条約(もしくはジュネーブ条約)すらも軽く見ているのだろうが、武装解除させた捕虜の人命尊重は国際的にも尊重されるものであり、それを「開発」と言う美名の下に、単に磨耗する交換部品として使役するとは何事であろうか。
それも、一番劣化しやすい状況で酷使してである。

ただ、ここで戦時中の日本軍の防寒コートを初めて見たのだが、出来が良いのには感心させられた。
さらに、ラーゲリ(収容所)内で手製で作り出された木製の食器には、戦前の日本人の手先の細かさを髣髴とさせてくれる。

なんか、また外人が嫌いになったかも。
シャラポワは、個人的にはきれいだとは思うんですけれどもね。

追伸
添付画像のジオラマは、同施設内の展示物なのですが、この引き上げ船内のジオラマの写真には、必ず写っていないものがある。
それはこの画像の右下に居るはずの、お骨を抱いた女性の人形なのだが、なんかあの骨壷に入っていると踏んだ自分の勘どおりに、多分あの人形撮ると、変なものが写るのかも・・・・。