御祭神 五龍神ほか多数
呼ばれていたのは田無不動尊なのに、行ってみたらこちらにこそ呼ばれていたと気が付いたのがここ田無神社。
自説にしか過ぎないのだが、街道と言うか大きな道路はあたかも川の流れと同じであり、強過ぎる流れはその土地を時間を掛けて害し、その逆に適度な流れはその土地の運気を時間を掛けて向上させていく。
五街道の起点が日本橋になったのも、川(水運、小型の廻船による物流のスタート地点に配し、蔵前のような隅田川沿いの物流拠点の有る大型河川まで小型船で荷を運び、そこから大型船に積み変えて日本全国に荷物を運ぶ物流の要)と陸路の起点を共にして中心を定めれば、国家の繁栄を導けるという徳川家康公の国家クラスの大がかりな風水による呪術装置だと初老は考える。
その龍脈と言うか、増幅された神気の運び手ともなっていた街道沿いの宿場町として、江戸の初期から栄えていた田無だが、これは宿場以外にそこまでの産業が無かったことも手伝い発展したからであり、同様の宿場町でも肥沃な土地を持ち古来から市が立っていた府中などは、往古の昔から産業を宿場経営のみに傾けるようなことはしなかったのがその証。
宿場町と言えばライトな性産業とセットなのだが、そんな宿場町なのに無医村だったのが江戸の昔の田無の宿場。
セックスビジネスで無医村とか、働く女性にとってはかなりな激ヤバ物件な土地でしかなく、望まれてたのは有能な医者がこの田無に来てくれること。
その無医村にふらりと立ち寄ったのが、旅医者で末裔が田無神社の初代宮司となる賀陽玄雪(片伊勢東仙)。
大河ドラマになるほどの厚みは無くとも、BS系の時代劇スペシャルくらいは充分に主役を張れる経歴を持つおとこぶり。
おとこぶりな流れは、公式サイトのリンク先で読んでいただくとして、パワスポ的流れをレビューさせていただくと、こちらの寺社の位置関係をグーグルアースとかで見ると良く判る。
東に東国三社参りを経て、巨大な海溝や海流に住まう龍神様の神気に至り、南は地元の龍神でもあった五頭龍さまに乞われてその地に住まうこととなった龍神の姫神でもある江の島の弁財天さまのお力で龍脈の力を高め、西はこちらも大規模な呪術装置でもある出雲大社を超えて稲佐の浜に行き、翻って北を見れば出羽三山を超え岩木山にまで至るこれもまた巨大な地脈系の龍脈が交差する場所に鎮座するのがこちらの田無神社様の立地。
何で執拗に立地と言うか風水的(龍脈)のことを説明するかと言うと、こちらの寺社は龍神様のお力がことのほか強いから。
江戸のころのように、田無不動尊を神宮寺として配していた本来の寺社の規模ならまた別な形となったのでしょうが、明治の廃仏毀釈以降は都市計画と言うか区画整理で寺社を左右に断絶され、土地を小分けにすればその土地の往古の神仏のお力も弱るもの。
サイト 龍国日本より
ただ、土地の力は弱まっても、日本という国家を大きな龍神に見立てれば、その往還する龍脈の交差点は当然に吉祥の土地となり、そこで従来の神仏ではなく交差する龍脈への感謝として龍神さまをメインにお祀りすれば、当然にその寺社を崇敬する方にはその厚いご加護が賜りやすくなるというもの。
その逆に、鎮守の森なども少なく、一般的な人格神(天津神さまや国津神さま)では心落ち着く寺社とは言い難いため、結果的に龍神様たちのお力が強い寺社になったのだと思われます。
んで、寺社的には、箱根神社のロープウェイで登るしか手が無い奥宮に近く、あそこで小者ぶりを発揮してあれこれIQ低目な祈願しても無駄なように、こちらの田無神社様でも基本はここに参拝できたことの感謝で参拝を重ねるだけで運気は普通に上昇します。
何故ならば、初見さんは昇殿祈願しないと龍神様はプライドが高いので、あんましお願いは聞いてくださらないから。
その逆に褒めちぎりには弱いので、感謝の気持ちのみで参拝を重ねると、将来的な不幸や無駄なトラブルを防いでくれるので、アタマ弱く種付け風味な縁結びとか願う子は行かないほうがモアベター。
五龍命とかなオリジナルの萌えキャラあるとか、令和に寄り添う優しい心配りもグイグイ来る感じ。
長くなってきたので、続きは後編で・・・。